これに答えるように、藤川は引退あいさつで清原氏へメッセージを送った。 ぎっくり腰みたいになりました」と笑わせると「本当に…暴言吐いてしまいました」と反省しきりだった。
13参りました。 全12球がストレートで、最速は149キロ。
そういう精神でやってこられた藤川投手。
キヨさんはとても優しい方です。
口元に笑みをうかべながら、番長はお手並み拝見とばかりにバットを構えた。
本当にストレートだけで勝負できる投手、と思っていなければあんな発言はしません。 因縁の再戦の日は6月25日だった。 11月10日、阪神の 藤川球児投手 40 が、甲子園球場で現役最後となるマウンドに上った。
12「2005年4月21日に清原さんが藤川投手と対戦した際、フォークで三振を奪われました。 「阪神0-4巨人」(10日、甲子園球場) 今季限りで現役を引退する阪神・投手(40)が九回、現役最後のマウンドに上がり、12球のオール直球勝負で三者凡退に抑えた。
「あなたがいなければ今の僕は存在しません。
フィナーレでは2010年9月30日、藤川が逆転3ランを浴びたことで引退試合での出番をなくしてしまった矢野燿大監督への配慮か、10年の時を経てバッテリーを再結成させ、「タイガース史上最高のキャッチャーで、僕が世界で一番尊敬している」という男が持つミットへと投げ込んだ。
次の年のオールスターもよく覚えてます。
59年(昭34)、同じ日に後楽園で行われたのが天覧試合だった。 — Yahoo! ブンとボールが浮いてきて、直球を狙っているんですけど、自分のバットが下をくぐってしまう。 因縁をファンも知っていた。
16藤川投手の最後の投球とスピーチだけをオンエアしていました。
野球選手・藤川球児というのは皆様の気持ちの塊だったんだと思います。
ただ、藤川くんぐらいの選手になると自分が決めないといけないんですよね。
物議を醸したが、藤川にとっては直球を磨くきっかけとなった。
イニングまたぎで、8回1死無走者で清原和博が打席に入った。
182-10の七回2死満塁、フルカウントからフォークで空振り三振を食らった藤川球児を指していた。
現役お疲れさまでした」. この対決後の両者を、当時のデイリースポーツ(06年7月24日付け)はこう伝えている。
=敬称略=. 清原もすごい。
現れたのはスーツ姿の清原和博氏だ。
それでも、これが「火の玉ストレート」を生んだ。 セ・リーグで印象に残っているのは大魔神(佐々木主浩氏)は別格ですけど、年下で直球勝負に挑んできたのは藤川君だけだと思います」と称賛した。 だから非常に勇気のいる決断だと思うし、残りシーズン頑張ってほしいな」とエール。
6ストレート一本で勝負してくる投手というのは、今の時代ではあり得ないんでしょうけど。
それが自分でも悔しくて」と振り返った。
彼は150キロ近いストレートがありますから」と直球しか考えていなかったところへ来たのはフォーク。
今まで出会ったことのない4球でした」と敬意を表した。
大魔神(佐々木さん)と一緒で」とバッター心理を明かした。 因縁をファンも知っていた。
そして「清原さんが勝負に生きた人だったので、その生き方を教えていただいた。
翌06年6月17日に交流戦で対戦し中飛で倒れたのが公式戦での最後の対決となり、この時の直球を清原氏は「火の玉みたいやった」と表現している。
これからは、ゆっくりと肩・肘、そして心も休めて新たな人生に向かって行ってください。
メッセージ全文は以下の通り。 これに、藤川もスピーチで応えた。 必ず御礼を伝えに行きますので、今後ともよろしくお願いします」と、エピソードも披露した。
7そのうちの1打席、05年6月25日の対戦(甲子園)では藤川がストレートで空振り三振を奪った。
VTR出演した清原氏は藤川のストレートについて「なんでバットに当たらないのかな。
僕をここまで成長させてくれたのは、清原さんとの対戦、そして存在です」と感謝。
佐々木さんは2005年シーズンを最後に、清原さんは2008年限りでそれぞれ現役を引退したが、今季限りでの現役引退を発表した阪神・藤川球児投手(40)について聞かれると、佐々木さんは「最初にクローザーで出てポンポンとやられた時に、多分それで決めたんじゃないかなと思いますけどね。