もつともえ知らざりけり。 』 2段落 おじいさんがかぐや姫を家に連れて帰ります。 竹取の 翁 おきな 、竹を取るに、この子を見つけてのちに竹取るに、節を隔ててよごとに金ある竹を見つくること重なりぬ。
『竹取物語』は、 『竹取翁の物語』や 『かぐや姫の物語』と呼ばれることもあります。
[現代語訳] 中納言の石上麻呂足が家来の男たちに、『燕が巣を作ったら知らせよ。
竹取の翁は、竹を取る際に、この子を見つけて後に竹を取ると、節を隔てて節と節との間ごとに黄金の入っている竹を見つけることがたび重なった。
(空中に)立っている人たちは、衣装が華やかで美しいことは、比べるものがない。
[現代語訳] 今ではもう昔のお話ですが、竹取の翁と呼ばれるお爺さんがいました。 ~』の部分の原文・現代語訳(意訳)を記しています。
あなたたちを見捨てて帰ることは、帰る途中の空から落ちてしまうほどにつらいことですよ。 4 使ひけり ハ行四段動詞「使ふ」の連用形+過去の助動詞「けり」の終止形。
翁も、塗籠の戸に錠を下ろして戸口にいる。
女を得ずなりぬるのみにあらず、天の下の人の見思はむことの恥づかしきこと』とのたまひて、ただ一所深き山へ入り給ひぬ。
(それでも、かぐや姫を引きとめることは)できないことだ。
中納言は喜んで、大勢の人にはその取り方を知らせないで、密かに食糧管理の役所に出かけていって、家来の男たちに交じって、昼も夜も構わずに子安貝を取ろうとしていた。
翁は、気分が悪く苦しい時も、この子を見ると、苦しい気持ちもおさまってしまう。
皇子は立つもはした、居るもはしたにて居給へり。
この事を帝に伝えると、帝は一旦は思いとどまったものの、やはり会いたくなり、翁を呼び出して「姫を差し出せば官位をやる」と告げる。
このウェブページでは、『かかるほどに、男ども六人連ねて~』の部分の原文・現代語訳(意訳)を記しています。 中川浩文『竹取物語の国語学的研究 中川浩文論文集 上巻』1985年 pp. (翁は)「どうして悲しいのにお見送り申し上げようか。 『竹取物語』の原文・現代語訳1(現在位置) [古文・原文] 今は昔、竹取の翁 おきな といふ者有りけり。
1夜になると例の5人が集まって、或る者は笛を吹き、或る者は和歌を詠い、或る者は唱歌し、或る者は口笛を吹き、扇を鳴らしたりしていた。
135• 使者は宮中に帰っておじいさんの様子を帝に伝え、おじいさんの言葉を報告すると、それを聞いた帝はおっしゃった。
秋田は『なよ竹のかぐや姫』と名付けました。
119-120• 参考文献 『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),室伏信助『新装・竹取物語』(角川ソフィア文庫),阪倉篤義 『竹取物語』(岩波文庫) スポンサーリンク [古文・原文] このことを帝聞こしめして、竹取が家に御使ひ、遣はさせ給ふ。
しかし、10世紀の『大和物語』『うつほ物語』『源氏物語』、11世紀の『栄花物語』『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られることから、10世紀頃までには既に物語が作られていたと考えられます。 そのうちに、志の無い者は来なくなっていった。 [現代語訳] 日が暮れたので、中納言は食糧管理の役所に出かけて、柱を見てみると、確かに燕が巣を作っている。
1名を、さかきの 造 みやつこ と言った。
」と申せばその返りごとはなくて、 「ここにいらっしゃるかぐや姫は、重い病気にかかっていらっしゃるので、出ていらっしゃることができないでしょう。
尊く問はせ給ふ。
名をば讃岐造 さぬきのみやっこ となむ言ひける。
」と言う。 」と言うと、意気込んでいた造麻呂も、何かに酔った気分になって、うつ伏せに伏した。 腹の立つようなことがあっても、この子を見ると和やかな気持ちになっていました。
10参考文献 『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),室伏信助『新装・竹取物語』(角川ソフィア文庫),阪倉篤義 『竹取物語』(岩波文庫) スポンサーリンク [古文・原文] 中納言、倉津麻呂にのたまはく、『燕(つばくらめ)は、いかなる時にか子産むと知りて、人をば上ぐべき』とのたまふ。
新井本(古2)「いはかど」。
えとどむまじければ、たださし仰ぎて泣きをり。
このことを嘆き悲しみ過ぎて、ひげが白くなり、腰が曲がり、目も腫れて爛れている様子である。
かぐや姫、『もの知らぬことなのたまひそ』とて、いみじく静かに、朝廷(おほやけ)に御文奉り給ふ。 ここでは「夜に這い回る」を語源とする新解釈を創作している。 御使ひ帰り参りて、翁のありさま申して、奏しつる事ども申すを、聞こしめして、のたまふ、『一目見給ひし御心にだに忘れ給はぬに、明け暮れ見馴れたるかぐや姫をやりて、いかが思ふべき』 [現代語訳] このこと(かぐや姫が月に帰るということ)を帝もお聞きになられて、竹取の翁の屋敷へと使者を遣わした。
日が落ちると、滑り出すように屋敷を出て行ってしまった。 罪の限り果てぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き嘆く。
翁言ふやう、「我が朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて、知りぬ。
媼(お婆さん)が抱いていたかぐや姫は、外に出てしまった。
品詞の分類でも、重要事項がつまっています。
大高康正、「富士山縁起と「浅間御本地」」、『中世の寺社縁起と参詣』、竹林舎、2013年• 参考文献 『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),室伏信助『新装・竹取物語』(角川ソフィア文庫),阪倉篤義 『竹取物語』(岩波文庫) 楽天広告• コメントなど、いただけると、とてもうれしいです。 見るからに、病人のようになった大納言は、家来の前でかぐや姫を誹謗中傷したが、かぐや姫と結婚するために離縁した妻や世間の見る目は厳しく、物笑いの種となるのであった。
『内匠寮(たくみづかさ)の工匠(たくみ)漢部内麻呂(あやべのうちまろ)申さく、玉の木を作り仕う(つかう)まつりしこと、五穀を絶ちて、千余日に力を尽くしたること少なからず。
別タグで開かれるので、パソコンでご利用の方は、こちらの方が使いやすいかもしれません。
燕が子を産もうとしている時に綱を引き上げさせて、さっと素早く子安貝を取らせるのが良い取り方ですよ。
これを見て翁がかぐや姫に「仏のように大切なわが子よ、変化の者 とはいえ翁も七十となり今日とも明日とも知れない。 中納言喜び給ひて、よろづの人にも知らせ給はで、みそかに寮(つかさ)にいまして、男(をのこ)どもの中に交じりて、夜を昼になして取らしめ給ふ。
14そのまま、中納言は八島の鼎の上に真っ逆さまに落ちてしまったのである。
新井信之「竹取物語の研究 本文篇」国書出版、1944年 pp. の中の者に持たせた箱があり、それには 天の羽衣が、また別の箱には 不死の薬が入っている。
妻 め の嫗 おうな)に預けて養はす。
連体形の用法や、注意すべき「助詞」に着目しましょう。